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働くということを高校生が考えてみると【連載|高校生が現代を考える#27】


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※ 過去の連載記事一覧が閲覧出来ます。


 高校生という肩書きを持っている今だからこそ、自分が将来何を生業として生きているのかと言う事は、果てしない問いであります。自分の長所や短所は何なのか、社会のために使える能力とは何なのか、果たしてこれから老いるまで無事に生き抜くことができるのか、あらゆる可能性を前に湧き上がる希望とどこからか襲ってくる不安との狭間に生きています。

 読者の方々が今おいくつでいらっしゃるのか、知る由もありませんが、おそらく、大半はもうすでに社会に出てご活躍してあるのだろうと思います。もちろん、皆様方にも学生時代、人によっては若かりしあの頃という表現になるかもしれませんが、今の僕と同じくらいの年齢だった時期が確実に存在しますよね。皆さんは、その頃、どのような将来像を描いておられましたか?

 自分1人の問題にとどまらず、僕がこれから生き抜く世界は、きっと今よりも計り知れないほど変わってしまっているのでしょう。今まさに、生活の様式が様々に変わっている、この状況は立ち止まることを知らず、いつまでもいつまでも変化し続けるでしょう。そんな不確実性を背負ってもなお、僕は前に進まなくてはならないようです。

 僕はもうすぐ、高校3年生へと進学します。受験生になるわけです。すでに、来たる大学受験へ向けて、受験勉強を始めたわけですが、おかげさまで僕の心の内にある不安がより一層増幅されてしまいました。未来を生きる重圧とともに、浪人したくないという決意からくる焦りが心を押しつぶしてしまいそうです。それでも、日々の努力を積み重ねています。日進月歩の日々です。

 さて、大学受験について、僕の中では高校入学時から、経済学部へ進学したいという想いだけは変わらずにここまでやってきました。そこから先、自分がどのような職業に就くのかは未だ未知数ですが、経済学部という方向性から自ずと推察することはできます。銀行に勤めているかもしれません。もしくは証券会社かも。はたまた、どこかのメーカーで営業をしているかもしれません。どうやら、まだ、可能性は無限大ということのようです。

しかし、最近では、そのまま経済学者という道に進むのも一手かと考えるようになりました。どうやら研究者というのも、僕の気質に合っているようではあります。さらに、それを後押ししたのは、Amazonなどの巨大IT企業は、多くのエコノミストを雇って、サービスや経営の戦略を練っているというのです。そのような仕事ができたら、なんか楽しそうだと思っています。もしくは、1人の経済学者として国家的な経済政策の立案に関われたら、かっこいいなと純粋に思ったりします。また、日本人でノーベル経済学賞を受賞された方がまだいないというのも、自分の心を掻き立てるものがあります。でも、どこか、利己的な目的が大きいように感じますよね。世の中、そんな甘くはないのでしょう。

 ここまで、だらだらと自分のことを書いてきましたが、今回のテーマは、ズバリ「働く」って何ぞや?ということになっています。何か大きなことを成し遂げたくて、その職を志しても、忙殺される毎日に、本来あった志を見失ってしまうというのは世の常ですが、それでは「働く」って何なの?っていうのを本気で考えてみようというわけです。

 タイトルにある通り、「働く」ということについて、まともに働いたことのない高校生が考えるわけですが、僕だって、働いたことはないけれども、働く人を見たことならあります。

 例えば家の中。僕の親は毎日職場に通って働いていますし、祖母は畑に通い、我が家で食べるくらいの小規模の農業を営んでいますが、これも立派な仕事でしょう。学校へ行けば、たくさんの先生が働いておられます。電車に乗るときも、病気にかかったときも、誰かが働いてくれるおかげで、僕はこうして生きているのです。

 ここで、皆さんの中には、自分の仕事について辛い、苦しい、もうやめたいなどとネガティブな感情を抱いているかたが少なくないかもしれません。昨今よく言われている「働き方改革」ですが、そこにもよく表れているように、過重労働だったり、残業だったり、成果主義だったりに押しつぶされて、今にも殺されそうになっている働く大人たちがたくさんいるようです。そこまではなくても、ちょっとした作業や、人間関係などで、嫌だなという感情を抱く瞬間は少なからずあることでしょう。

 僕だって、行きたい大学を目指して、日々、勉強勉強とめげずに取り組んでいるわけですけど、単語帳をたった5分開くのさえも嫌だな、やめたいなと思うことは多々あります。いくら楽しいことでも、いくら自分のやりたいことでも、ちょっと立ち止まる瞬間はやはりありますよね。問題になっているのは、その程度と頻度だと僕は思います。

 先ほど、僕の生活が、誰かの仕事のおかげで成り立っているという話をしましたが、例えば、自分が風邪をひいた場合を想像してみてください。なんかいつもと違うなと思ったら、すぐに病院に行きますよね。するとお馴染みのお医者さんが診察してくれるわけです。

 しかし、お医者さんだって人間ですから、人の好き嫌いはありますよね。さらに、近頃はコロナウイルスなどという未知のウイルスが流行っていて、お医者さんは毎日その危機にさらされているわけです。時には、きつい仕事だと弱音をはきたくなることもあるでしょう。でも、あなたが診察を受けているときも、診察室の前で待っているときも、お医者さんの口から一言でも「いやだ」などと聞こえてきたことはありませんよね。もちろん、家に帰ってから、どれだけ不満を言おうが僕らの知っている範疇ではありませんが、患者さんの前でネガティブな言葉を口にするお医者さんは聞いたこともありません。僕たちの方も、そんなお医者さんに出会ったら、次回は違うお医者さんのところにいきますよね。

 お医者さんに限らず、スーパーの店員さんも、バスの運転士さんも、お客さんの前で堂々と不平不満を言い散らすことはないわけです。読者の方々も、そうではありませんか?僕だって、こうして書いている記事の中に、記事を書くことがどれだけ大変できつくて辛くて、僕は受験勉強したいのに、なんて書くはずがないわけです。一言言っておくと、この記事は連載という形ではありますが、僕の好きな時に気ままに書けるので、これほどの天職はありません(笑)。こうして、僕らは毎日、すがすがしい気持ちで、バスに乗り、買い物をして、一日を終えることができます。

 こうしてみると、働き方に改革すべきところなど、見当たりませんよね。それこそがこの問題の本質なのではないかと僕は思うのです。

 社会のどこをとってもニコニコ笑顔。陰りがある場所など見辺りもしません。しかし、何日も連続で働き、上司にきつく言われ、へとへとになっている人が、一見うまくいっている世の中を見たら、自分とのギャップがあまりにも大きくて、さらに追い込まれてしまいませんか?これはSNSと同じですよね。生活のハッピーな側面だけを取り上げて、SNSにアップし、SNS上は幸せに満ちたお花畑になっていく。僕はそんな世界にたまに嫌気がさして、今では意図せず、周期的にSNSを使う日、使わない日が訪れます。

 いくら社会が笑顔で満ち溢れていても、本当の共感力というものに乏しいのが現代です。本当に誰かの助けを必要としている人には、助けが届いていません。残業の総量を規制しても、有給休暇を推進しても、育児休暇を導入しても、根本的な解決には至りません。本連載で度々申し上げているように、もっと人間のソフト的な面をケアしなければならないのです。こちらが笑顔でお客様をお迎えする前に、お客様の気持ちを推量できるような社会を目指すべきではないでしょうか。経済の道に進むといっても、こうした社会問題を経済の知見を活かして解決できるような人間になるべきではないかと、ここまで書いて気づきました。

文責:NGT(Nagata Shunta) @ngt_nanoka

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